マップを利用するにあたっての注意点
・全体的に、歩き慣れた人向けのコースになっています。ご自身の体力や足に合わせて、コースをあるいはコースの一部を選んでください。
・大半の道は問題ないのですが、コースによってはスニーカーでは滑りやすいところ(急な所)や歩きにくい山道などがあります。
例えば、MAP2 4集落(とちの木、横吹、木の間、若宮)を巡る「中山一周ウォーキング」の中山の道、
MAP9 横吹から花場、休戸、瀬沢、先能 「山里ウォーキング」
・冬から春は良いのですが、夏になるとヤブになって、歩くのが困難な場所があります。
特に、MAP9 横吹から花場、休戸、瀬沢、先能 「山里ウォーキング」
・マップには出来るだけ道案内を書きをしましたが、地図だけではどうしても道が分かりにくい場所があります。特に、林の中は分かりにくいのでご注意ください。
ウォーキングマップのダウンロード
帰去来荘について
富士見の旧別荘地を結ぶ歴史散歩コースを歩いて見よう(約5Km)。マップのダウンロードはこちら
分水の森→白林荘裏の小道→旧帰去来荘→白林荘、岩波書店富士見寮跡地→富士見公園→原の茶屋
→甲州街道→旧ベネディクト修道院(現在はやまぼうし)
分水の森(渡辺別荘)
富士見最古の別荘。
明治40年(1907年)、宮内大臣の渡辺千秋が蔦木宿の本陣を移築して分水荘とする。
尾崎喜八が戦後の7年間を過ごした。
旧帰去来荘(旧小川別荘)
明治43年(1910年)、文部大臣・司法大臣・鉄道大臣を歴任した、富士見出身の小川平吉が建てた別荘。
田山花袋、竹久夢二など多くの文人や政治家が滞在した。元首相の宮澤喜一は平吉の孫にあたり、夏をここで過ごしている。富士見の別荘地の先駆けである。
「アララギ」の歌人伊藤左千夫は帰去来荘で富士見公園の構想を練った。
大正11年(1922年)、小川平吉の勧めで犬養毅が帰去来荘を訪れ、隣接する朝鮮別荘に一泊する。犬養毅は富士見の純朴な風物が大いに気に入り、この地に別荘を建てることを決断する。
富士見公園
原の茶屋に「アララギ」の歌人が集う。
明治44年(1911年)大自然を永遠にと「アララギ」を記念して自然公園が完成する。
斎藤茂吉、伊藤左千夫、島木赤彦らの歌碑が建つ。
高原に足を留めて見守らむか飛騨のさかいの雲ひそむ山 斎藤茂吉
寂しさの極みに堪えて天地に寄する命をつくづくと思ふ 伊藤左千夫
水海の氷はとけてなお寒し三日月の影波に映ろふ 島木赤彦
白林荘
犬養毅の別荘。
大正13年(1924年)白林荘の母屋が完成。以後、犬養毅を慕う多くの人々が訪れ、富士見ヶ丘に幾つもの別荘が建てられていく。犬養毅は地元の住民たちと広く親しく交流した。昭和7年(1932年)5.15事件で凶弾に倒れるまで、犬養毅は多くの日々をここで過ごした。
その後、荒廃した白林荘は山縣勝美により修復保存され、現在に至る。
犬養毅の盟友古島一雄は白林荘に隣接して三斜荘を建てた。後に、岩波茂雄が買い取り、現在は岩波書店富士見寮として跡地だけが残っている。