入笠山からの富士見町と八ヶ岳

入笠山からの富士見町と八ヶ岳

富士見町を歩いてみよう

 富士見町には、ここに住んでいても当たり前のこととして気付かなかったり、
忘れてしまったりした、自然や風土や文化や歴史が数多く残されています。
これらを再発見しながら、各自の体力や時間に合わせて、
住まいの地域に合わせて、健康増進のために、また健康長寿のためにも、
ウォーキングを楽しみましょう。

 富士見町を訪れた人たちには、富士見町の魅力を知ってもらう良い機会になります。
手軽なハイキングとして楽しめるコースが幾つか用意されています。
 JRの駅(すずらんの里、富士見、信濃境)からのコースや、
車で好きな場所からスタートできるコースがありますから、
お好きなコースを選択できます。
 一般の観光コースとは一味違う、富士見町の魅力を味わうことができます。

 

 

マップを利用するにあたっての注意点

・全体的に、歩き慣れた人向けのコースになっています。ご自身の体力や足に合わせて、コースをあるいはコースの一部を選んでください。

・大半の道は問題ないのですが、コースによってはスニーカーでは滑りやすいところ(急な所)や歩きにくい山道などがあります。
 例えば、MAP2 4集落(とちの木、横吹、木の間、若宮)を巡る「中山一周ウォーキング」の中山の道、
 MAP9 横吹から花場、休戸、瀬沢、先能 「山里ウォーキング」
 
・冬から春は良いのですが、夏になるとヤブになって、歩くのが困難な場所があります。
 特に、MAP9 横吹から花場、休戸、瀬沢、先能 「山里ウォーキング」
 
・マップには出来るだけ道案内を書きをしましたが、地図だけではどうしても道が分かりにくい場所があります。特に、林の中は分かりにくいのでご注意ください。

ウォーキングマップのダウンロード

ウォーキングマップのカバーする領域

 

1 

富士見町を愛した文人・政治家ゆかりの別荘地や街道を結ぶ

歴史ウォーキング 

 

4集落(とちの木、横吹、木の間、若宮)を巡る

中山一周ウォーキング

緑の野菜畑と草原、青い空に白い雲  眺望を楽しむ

パノラマ・ウォーキング

 

神戸の丘陵を四季折々楽しむ 

八ヶ岳眺望独り占め
ウォーキング

林の中に
お気に入りの道を見つけよう 

田園ウォーキング

  

アグリモールから瀬沢新田 

眺望を楽しみながら
足の向くままウォーキング  

 町民広場から 

立場川・乙事ウォーキング

町民広場から机へ 

高度差200mウォーキング

 

横吹から花場、休戸、瀬沢、先能 

山里ウォーキング

10

立沢、坂本養川せぎ、稗の底の自然と歴史

 森と水ウォーキング

11

乙事諏訪神社から 

小六、稗の底ウォーキング

12

富士見高原の秋を満喫 

棒道ウォーキング

 

 

 13

高森、烏帽子、池袋 

信濃境駅周辺ウォーキング

 

14

高森、先達、葛窪 桜の名所も多い 

国境の集落を
ぐるりとウォーキング

15

蔦木宿、井戸尻遺跡、田端 

5千年の歴史ウォーキング

 

16

富士見の

甲州街道ウォーキング 

 

富士見町の魅力発見


井戸尻応援団  井戸尻遺跡の楽しい情報とイベントを紹介
おらほー!富士見  富士見町を楽しくするホットな話題が満載
Facebook   〜おらほー富士見〜

帰去来荘について

 帰去来荘がなければ、白林荘も富士見ケ丘の別荘地も造られることはなかった。多くの文人や政治家などが富士見を訪れることもなかったかもしれない。
富士見は今とは随分と違ったものになっただろう。
このように歴史的に価値のある緑豊かな5500坪の別荘地を、メガソーラー開発で失うことは、とても残念なことです。

 富士見の旧別荘地を結ぶ歴史散歩コースを歩いて見よう(約5Km)。LinkIconマップのダウンロードはこちら
    分水の森→白林荘裏の小道→旧帰去来荘→白林荘、岩波書店富士見寮跡地→富士見公園→原の茶屋
    →甲州街道→旧ベネディクト修道院(現在はやまぼうし)

 

分水の森(渡辺別荘)

富士見最古の別荘。

明治40年(1907年)、宮内大臣の渡辺千秋が蔦木宿の本陣を移築して分水荘とする。
尾崎喜八が戦後の7年間を過ごした。
 

旧帰去来荘(旧小川別荘)

明治43年(1910年)、文部大臣・司法大臣・鉄道大臣を歴任した、富士見出身の小川平吉が建てた別荘。

田山花袋、竹久夢二など多くの文人や政治家が滞在した。元首相の宮澤喜一は平吉の孫にあたり、夏をここで過ごしている。富士見の別荘地の先駆けである。
 
「アララギ」の歌人伊藤左千夫は帰去来荘で富士見公園の構想を練った。

大正11年(1922年)、小川平吉の勧めで犬養毅が帰去来荘を訪れ、隣接する朝鮮別荘に一泊する。犬養毅は富士見の純朴な風物が大いに気に入り、この地に別荘を建てることを決断する。

富士見公園

原の茶屋に「アララギ」の歌人が集う。

明治44年(1911年)大自然を永遠にと「アララギ」を記念して自然公園が完成する。

斎藤茂吉、伊藤左千夫、島木赤彦らの歌碑が建つ。

 高原に足を留めて見守らむか飛騨のさかいの雲ひそむ山 斎藤茂吉
 寂しさの極みに堪えて天地に寄する命をつくづくと思ふ 伊藤左千夫
 水海の氷はとけてなお寒し三日月の影波に映ろふ    島木赤彦
 

白林荘

犬養毅の別荘。

大正13年(1924年)白林荘の母屋が完成。以後、犬養毅を慕う多くの人々が訪れ、富士見ヶ丘に幾つもの別荘が建てられていく。犬養毅は地元の住民たちと広く親しく交流した。昭和7年(1932年)5.15事件で凶弾に倒れるまで、犬養毅は多くの日々をここで過ごした。
その後、荒廃した白林荘は山縣勝美により修復保存され、現在に至る。

犬養毅の盟友古島一雄は白林荘に隣接して三斜荘を建てた。後に、岩波茂雄が買い取り、現在は岩波書店富士見寮として跡地だけが残っている。